スティーブ・ジョブス。IT業界で「俺っていけてるかもしれない」そう思っている人は、一度は意識せざるを得ない男。実際スマホゲームの会社の社長さんに会うと、「ジョブスがこう言っていたよ」とか、そこまではっきり言わずとも、「ジョブズに影響を受けているのかもしれない」と思わせるような人は以外と多いです。確かに、アップルのMacやiPhoneはエンターテインメントの幅を広げてくれたことは間違いありません。これからイノベーションを起こして行きたいと思っている社長にとって、1つのロールモデルであり理想的な成功像になっているのだと思います。今回の記事では、ジョブスの思想的な部分に迫ってみましたという記事です。
スティーブジョブズといえば、「アメリカの成功した起業家」というイメージが強いと思います。日本人はアメリカ的なものに無意識的にあこがれを抱きがちです。私もこの文章で「ロールモデル」なんて使っていますが、こんな横文字を使ってしまうことも私の中に欧米に憧れがあるからです。「イノベーション」という言葉が世間でよく使われていますが、「革新」と言っても意味的にも文法的にも何の問題もありません。しかし「イノべーション」の方が現代的で格好良く聞こえるのは、無意識的にアメリカに憧れを持っているからです。スティーブ・ジョブスはアメリカの代表的起業家として、多くの人の憧れの的になっています。
ジョブスが青春時代を学生として過ごした1972年、アメリカ西海岸は「カウンターカルチャー」という文化流行に覆われていました。ベトナム戦争で、アメリカ軍が甚大な被害を国内外にもたらしていた時代です。若者は戦争を推し進めていく国家体制への反感、国家が主導する資本主義や唯物的な思想に対して反発していました。そんな流行の中にジョブスも存在していました。人が何かに反発するとき、反発する物の反対の物にひかれていく事があります。ジョブスの場合それは仏教や禅などの東洋思想でした。
ジョブスの愛読書 弓と禅
ジョブスが愛読したと言われる書物に「弓と禅」という本があります。これはオイゲン・ヘリゲルというドイツ人の哲学者が、日本に留学し弓道を習得していく過程を詳細に綴ったものです。ドイツ人の哲学者といえばカントやヘーゲルが有名ですが、とにかくドイツ人の哲学は丁寧で、杓子定規で、理屈っぽくて難解です。
そんな世界に生きるヘリゲルが日本の弓道にチャレンジするのですが、初めはまるきり太刀打ち出来ません。哲学のように、順序正しく、ロジックに基づいて自分の動きを分析し弓を射ようとするのですが、それではまるきり当たらないのです。
「ロジックに基づいて順序正しく分析」の考え方を弓の師匠はたしなめます。「その考え方だから当たらないのだ」と。ヘリゲルは最初全くこの意味がわかりませんでした。当然です。ドイツ人に論理を捨てろ、というのは、ギャルに原宿に行くな、と言うくらい無理な要求だからです。
しかしヘリゲルは徐々に分析を介在させずに弓を射る感覚を習得していきます。「弓」を「射る」のではなくて、弓と自分とが一体になり、自然に矢が射られていくような感覚を体得することが出来ました。この体感こそが東洋思想の根幹にあるものであり仏教や禅の根幹なのだ、と西洋人であるヘリゲルは理解するのです。
ジョブスがこんな書物を読み、思想を作っていったというのは意外な事実です。日本人にとってアメリカの代表的起業家であり成功者である彼がよりどころにしたものは、東洋の思想であり、日本の思想であったのです。よくジョブスの名言として言われる「connecting the dots」(点を繋げ)という言葉がありますが、これは一見無関係な物同士が関連性を持った時に新しいアイデアが生まれる、という意味です。ジョブスにとって東洋思想というのはバックグランドからして異質なものであり、できる限り遠くの「点」であったのではないでしょうか。
日本人にもジョブスの様に日本に反発し、海外の思想を取り入れた人はいました。代表的なのは夏目漱石です。彼は日本の世間的なしがらみを心底嫌うと同時に、西洋哲学に理論を借りて自分の文学的スタンスを確立しました。確かに彼の文章を読むと、扱っているテーマは日本の世間でありしがらみなのですが、それを描写する文章は非常に論理的で明晰で、西洋的な印象を受けます。
日本人でありながら西洋の哲学をまるで西洋人になったかのように身につけているので、それまで全く無かった小説のスタイルになっています。我らがアニメゲーム漫業界で言えば、宮崎駿さんもそんな要素があると思います。例えばジブリの「もののけ姫」は網野義彦さんという歴史家の歴史観を下敷きにしていると言われています。網野さんは私達が学校で習うような、「稲作をする村社会」といったような日本社会像を否定し、全く新しい日本の古代・中世の歴史観を打ち出しました。「日本」などという括りは古代には存在せず、大陸から色々な民族が入り込んで来ていた、という歴史観です。「もののけ姫」をみると、どこか外国の話の様な気がするでしょう。「千と千尋」は台湾を舞台にしたといいます。ジブリのアニメは、「日本」という感じがあまりしない物が多いです。
スティーブジョブスにしろ、夏目漱石にしろ、ジブリの作品にしろ、時代のスタンダードになるような商品や国を超えて支持される作品は、1つの国を超えたような幅広い視野が背後にあるのだと思います。ついジョブスに憧れてしまうように、自分より遙か遠くの物に憧れる事は、創作の素になるのだと思います。これからゲームやアニメを作ろうとしている方にこそ是非、普段自分が遊んでいるゲームや見ているアニメだけではなくて、思いっきり昔の小説や、海外の文学を読んで欲しいと思います。そして自分の中の憧れを育てて欲しいと思います。