冨田勲氏の経歴
本日は電子音楽を日本でヒットさせるキッカケを作り、晩年にもその積極的な姿勢で初音ミクとコラボ作品を制作したりと日本音楽業界に取って欠かせない存在、冨田氏に敬意を表し特集をお送りさせていただきます。1932年生まれ慶應義塾大学在学中にキャリアをスタートさせた。アニメ業界でいうと「ジャングル大帝」など多数の作品に関わり1970年代からシンセサイザーをいち早く導入し「月の光」など数々のアルバムをリリースした。(音楽ナタリーより)ちなみに、この文章は冨田氏の名作「月の光」を聴きながら書いている。冨田氏の数々の経歴はこの世に偉大な成果として残っており今でもネットを通じて触れられるのは感謝すべきことです。
ただ、正直に申し上げて冨田氏がシンセサイザーの第一人者であることは逝去というニュースを拝見してから知りました。本来少し聞き齧った人間が記事を書くことは正しいことか分かりませんが、残された人間にはやるべき役割が私は2つあると思っています。1つは知ること、もう1つは広めること、学び知見を深めた後は共有すべきだと思います。音楽の歴史における分岐点を作った形跡は今もなおこれからも未来永劫続いていくと思います。その偉大さについてこの記事で触れて頂けたら嬉しいです。
ドンドンッパンッ
手を叩けばパンッと鳴り、机を叩けばドンっと言います。人によってはカンッと聞こえる人もいるかもしれません。そして何気なく過ごしている私たちの日常を過ごす私たち自身が音楽です。心臓の鼓動や脈拍どちらももリズム良く、テンポ良く私たちの命を奏でています。このビートが一瞬でも止まってしまえば二度と音楽を奏でなくなります。公式なモノで確認出来る音楽の始まりは学校でも勉強し覚えのある方が多い世界四大文明の頃まで遡ります。メソボタミア文明の遺跡からはハーブや笛、太鼓、エジプト文明においても儀式などの時にそうしたモノが使われていたと言う痕跡が残されております。この様に歴史的遺物が音楽の歴史と私たちは共にあることを明確に表しています。
何故か音楽を聴くと踊りたくなるし、切ない曲を聴くと心が動く、そんな現象も私たちが持っている音楽の姿を捉えると必然と言えてくるのではないでしょうか。そこからどんどん姿が変わり音楽は楽しむ音楽から祈る音楽へと変わっていきます。変わる以前も儀式やお祈りの際に用いられていたことを考えると祈る要素はあったのでしょうが、音楽性という意味では「楽しむ」「陽気な感じ」という印象が強くある気がしています。そして、文明が進む程に宗教に人々は傾倒していきます。今の様な科学や文明は発達していない時代ですから絶対的な物に縋りたいというのは人間の本性だと思います。キリスト教会が帯同したクラシック音楽が1000年間も主流でした。
祈る音楽から跳躍的な進化
そこまで主流だった讃美歌から音楽はさらなる進化を急速的に遂げ、バロック音楽、古典派、ロマン派、国民楽と姿形を次々に変えていきます。キッカケとなったバロック音楽は17世紀頃、国民楽は19世紀の中頃と言われており、1000年間も当たり前だった時を考えると人類の進化というのは本当に偉大な物と感じさせられます。この当時で有名な音楽家を挙げていけば、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ブラームス、チャイコフスキー、ドボルザークと言われる方たちは日本人でなくとも一度は耳にしたことのある偉大な音楽家たちです。今でもオーストリアのウィーンではクラシック音楽の演奏会が開かれており、昔の音楽と一言でまとめても大きな形跡となっているといえるでしょう。順を辿ってみて理解頂けたと思いますが、音楽は神と一体から分離して個々人が持つ音楽へと変容していっています。
密接的な音楽
ここから音楽は移り変わり密接な音楽へと変わっていきます。今までは祈りや愛などと抽象的な物をテーマとしていました。現代に流るる音楽を聴けば分かると思いますが、祈りや愛というよりも少し抽象さが薄れた恋愛や友情などを歌う音楽です。抽象的というのはとても曖昧性が多く、色々な意味合いが含まれてきます。言ってみれば少々理解しくい。ですから、そこに取って代わる様に生まれた音楽は具体性を増した一人一人が密接に繋がる様な音楽が発展したと私は考えています。冨田氏の凄い部分はここだと思っています。1970年代はロックなども流行り、音楽は神と一体という祈りから分離してきた途中でどこに行くか明け暮れていた時です。
その時にこれだ!と信じてシンセサイザーを持ってきたことです。これこそがクリエイターです。シンセサイザーを使って音楽を作るのは今では当たり前に行われ、ドラムの音を入力にしたりとコスト削減にも大きく役立っています。ただ、クリエイターが求める道はただ一つ新しい時代を作り、イノベーションを起こすことではないでしょうか。
偉大なるクリエイター冨田氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。