記事を読んでいただきありがとうございます。今回の記事ではSFのジャンル「サイバーパンク」を扱った作品「RUINER」を取り上げながら、「技術革新による衆愚化から目をそむけていると、ディストピア的SF世界が現実のものになるのではないか」という問題意識についてと、その解決策として我々は何ができるかについて書きました。興味がありましたら読んでいただけるとありがたいです。
管理!服従!ディストピア!
質の高く、特徴的なゲームだけを扱うパブリッシャーDevolver Digitalが、ハードでダークな世界観のサイバーパンクアクション作品「RUINER」をリリースしたと発表しました。開発はポーランドのワルシャワを拠点とする開発会社Reikon Gamesです。RUINERのツイッターアカウントも作成され、随時最新情報を発信しています。
@ruinergame
サイバーパンクな未来都市で繰り広げられる殺戮アクション『RUINER』がアナウンス。楽曲提供者には平沢進氏の名も
https://jp.automaton.am/articles/newsjp/cyberpunk-violent-action-game-ruiner-was-announced/
(引用開始)
HEAVENを居城とする企業は市民をバーチャル世界であるHELLに住まわせ、完全なる管理のもと、働く必要もお金を稼ぐ必要もない環境を築きあげ人々を堕落させている。しかしそんなHELLに唯一疑問を抱き社会病質者となりつつある主人公は、誘拐された兄弟を取り戻し、真実を明らかにするために、ハッカーの友人の強力のもと、腐敗した体制を破壊するためにHEAVENへと向かう。この独特なサイバーパンク世界には何かモチーフがあるというわけではなく、“我々が生きている世界”が映しだされているのだという。
『RUINER』を彩るサイバーパンクな雰囲気の構築にはかなりのこだわりが込められているようで、ルーマニアを中心に活躍を見せているDJ Alin氏や、アニメから映画まで幅広い活躍を見せ常に先進的な音楽を追求する巨匠平沢進氏を起用している。
(引用終了)
権力者による抑圧的な支配と徹底した管理社会、そして衆愚化……まさにサイバーパンクにありがちな世界観ですね。個人的に好きな平沢進さんが音楽を担当することも非常に興味をそそられます。平沢さんは自身のソロアルバムですでにサイバーパンク的で独特な電子音楽を制作されているので、制作陣のこだわりようが伺えます。
日本でもスチームパンクはSFの代表的サブジャンルとして認識されています。「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」を原作にした「ブレードランナー」や、キアヌ・リーブス主演、ビートたけし出演で話題になった「JM」(原作はウィリアム・ギブスン作『記憶屋ジョニィ』)、ウォシャウスキー姉妹監督作品「マトリックス」のヒットなどによって、「明るくない未来」を描いた作品は日本でも一般的になったのではないでしょうか。アニメゲーム漫画などのサブカルチャーにもディストピア的世界観の作品も多く出現しました。最近話題になった作品は Production I.G、タツノコプロ制作のアニメ「PSYCHO-PASS」や、Twitter発祥の海外サイバーパンク作品「ニンジャスレイヤー」などが挙げられるでしょう。(画像はAmazonより)
そもそもサイバーパンクって何?
サイバーパンクという言葉が当たり前のように使われるようになりましたが、そもそもサイバーパンクとは何なのかということについてあまり知らない方もいらっしゃるでしょう。何故かと言うと、「ブレードランナーみたいなやつ」とか「マトリックスみたいなやつ」、アニメが好きな人に伝えるならば「サイコパスみたいなやつ」といえばなんとなく伝わってしまうからです。
サイバーパンクの代表的作家といえばウィリアム・ギブスンでしょう。「電脳世界」という世界観を世に知らしめた電脳三部作「ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」「モナリザ・オーヴァドライブ」が有名で、攻殻機動隊やマトリックスのアイディアの源泉という認識が一般的にされています。スチームパンクなどの歴史改変、レトロフューチャーというジャンルにも大きく影響を与えたすごい作家なのですが、小説を読むのが好きだという人の間でも、「ギブスンみたいなやつ」といえばスチームパンクが何であるか、大方伝わってしまうのも相まって、さほど厳格な意味を持たないまま広まってしまった言葉でもあります。(画像はAmazonより)
Wikipediaを引用させていただきます。
(引用開始)
従来のハードコアSFや、スペースオペラ、サイエンスファンタジーなどに対するカウンターとしての思想、運動であり、それらを体現する小説に盛り込まれた要素・スタイルを抽出し、これをサイバーパンクと呼ぶ。
典型的なサイバーパンク作品では、人体や意識を機械的ないし生物工学的に拡張し、それらのギミックが普遍化した世界・社会において個人や集団がより大規模な構造(ネットワーク)に接続ないし取り込まれた状況(または取り込まれてゆく過程)などの描写を主題のひとつの軸とした。さらに主人公の言動や作品自体のテーマを構造・機構・体制に対する反発(いわゆるパンク)や反社会性を主題のもう一つの軸とする点、これらを内包する社会や経済・政治などを俯瞰するメタ的な視野が提供され描写が成されることで作品をサイバーかつパンクたらしめ、既存のSF作品と区別され成立した。
(引用終了)
技術の進歩によってそれをうまく利用している権力者への反発を描いているものが多く、カウンターカルチャーの一つとしてあげられるでしょう。絶対的普遍性や正義とは何かということを、機械によって制御された世界観を通して、風刺たっぷりに描き出す作品はまさしくサイバーパンク的だといえます。
未来から現実へ
最近でこそ注目されているサイバーパンクですが、少し前まではSFジャンルとしてもすっかり下火になっていました。サイバーパンクの中で描かれていた技術に対して、誰も驚かなくなってきていくにつれて、SFを登場するガジェットに対して魅力を感じていた人々や、スター・ウォーズのようなド派手な世界とアクションを期待している人たちからすると、全然おもしろくないからです。しかしサイバーパンクの世界観に注視してみると、現代にある技術を使えば、作品中の世界を構築することは可能なのではないかという疑問が湧いてくると思います。常時ネットにつながったスマートフォンやパソコンは、いつそのような管理と統制に使われるようになるか分かりません。
RUINERの人をバーチャル世界であるHELLに住まわせるという設定一つとっても様々な解釈ができます。例えば、我々が現在住んでいる社会がもしも権力者によって「辛く厳しいものである」と思い込まされているとしたらどうでしょう。HELLの設定はその風刺です。そこで生き残るためにはせっせと働く必要がありますから、その労働力を資本家が搾取するという資本主義経済というシステムと人間性の疎外を生んでいる状況を風刺しているとも言えるのではないでしょうか。
政治体制が変わるだけで市民の生活は一変します。飢餓問題などはそれが顕著にあらわれているでしょう。世界の飢餓を無くすことは物資や食料生産技術的には可能であり、政治的な協力体制があれば世界の飢餓を克服できることを、飢餓問題の根絶を目指す国連WFPなどが主張しています。(参考:https://ja.wfp.org/hunger-jp)ですから、現在起きているのは市民に対して抑圧的な政治体制を敷いている独裁的な国家の政治的な思惑によるものか、戦争などの社会的要因か、あるいは社会保障が行き届いていないという社会システム面の欠点によるものが大半であるとされています。日本は特に飢餓と無縁の国であるという認識は世界にありますが、しかし日本でも餓死者はいます。そのことを知っている我々日本人は、働かねば飢えて死ぬのだということを政府に思い込まされているだけ……なのかもしれません。その観点から行くと多くの日本人は、飢餓を克服できる状態ではあるのに、政府によって飢餓のある世界だと思わされているHELLにいるのです。(画像はWFP公式サイトより)
VRは危ないものか?
個人的に密かに気になるのはVRです。VR開発が進んでいけば、トータル・リコールやマトリックスのように、仮想現実の世界に人間を夢中にさせることは可能になるでしょう。新技術の登場に浮かれている間に、もしかすると知らぬ間に洗脳されてしまうかもしれません。VR機器はより良質なエンターテイメント体験を期待されている分、人体への影響に対する研究や、倫理的に問題はないかという議論が十分ではなく、今後はしっかりと考えていくべきです。TPP締結によってアメリカ的資本主義による徹底した自己責任の価値観が世界を覆うようになれば、生産者はもちろんそうですが、消費者でさえも行動一つ一つは自己責任とみなされるようになるわけです。知らなかったじゃ済まされません。アメリカは訴訟することに日本よりも抵抗はありませんが、これはいついかなる時も自己責任だからです。お上がなんとかしてくれていたが故に、お上に対して従順な日本人の精神を考えると、消費者として自己責任で行動するという文化があるとは言えない状況です。
サイバーパンク作品の世界観の特徴でもあるディストピアができる過程においては、衆愚化のプロセスが描かれている作品もあります。核戦争の勃発、人工知能が発達しすぎて人間に背くようになる、電子化、ネットワーク化が進んだ社会において、根本的な制御装置を破壊され共同体がぐちゃぐちゃになるなどがお決まりのパターンです。今ではこうした設定は陳腐化してしまった傾向にありますが、よく考えるとどれも実現しそうな未来であることに気がつくと思います。
ディストピアにしないために
サイバーパンク的なディストピアの原因の最たるものは上記で上げた衆愚化です。技術革新とともに人間が頭を使う社会になれば、退廃的な世界には陥らなかったはずですが、その技術に頼りっぱなしになり、人間の仕事が機械にとって変わっても何も思わなかったり、「しまった~!機械に仕事を取られた!もうおしまいだ!」と嘆いてばかりいたとしましょう。人間が機械に対する認識、人工知能の発達に対して何も思わないままIT技術が進歩し続けると、いつか本当に機械によって人間が統制される世界が来るかもしれません。犯罪の前例から人間の善悪をさばき、罪を犯す前に捕まってしまうトム・クルーズ主演作「マイノリティ・リポート」のようなことが起こるかもしれません。これが起きないようにするには、ドローン技術や自立型兵器の使用の是非について議論する「ロボット倫理学」や、情報の取り扱いやリテラシープログラミングに関する「情報倫理」などの周知と、人工知能に利用されないようにするために、人間でしか生み出せない価値を創造していくことです。人工知能は設計さえされなければ人間は勝てます。誰もが見逃している価値に気がつくことこそが、人類が機械に勝つ唯一の方法です。さもなければ、人間が生み出すものの価値が失われ、ロボット開発に拍車がかかるでしょう。ロボット開発が加速したとき、ロボットの扱いをしっかりと考えることができなければ、いよいよもってディストピアへ突入するのではないでしょうか。
現実味を帯びた今だからこそ注目したいジャンル (画像はAmazonより)
SF少年やSF好きは、「夢見がちな人」という烙印を押されてしまうかもしれませんが、19世紀のパルプフィクションに登場した機械は、タイム・マシンを除いてほとんど現実のものとなっています。ロケットなどは当時誰もが夢のまた夢であると思っていたことでしょう。しかし人類は月面に着陸し、宇宙ステーションは着々と開発が続けられています。今回リリースされる「RUINER」の記事内容をもう一度思い出してみましょう。
「この独特なサイバーパンク世界には何かモチーフがあるというわけではなく、“我々が生きている世界”が映しだされているのだという。」
現代社会をモチーフにしたとしても、十分サイバーパンク的ディストピアの世界観を構築することは可能であることがRUINERによって証明されようとしています。果たして現代社会にとってSFというジャンルは夢見がちなものでしょうか?今後のITや技術革新に関する倫理観を養うためにも、未来を予想した、あるいは未来を描いた作品を見ることは有意義であると考えます。ウィリアム・ギブスンが描いたグラフィカルな電脳世界、オーウェルの「1984」やPSYCHO-PASS、伊藤計劃の『虐殺器官』の世界はもうすでにそこまで来ているのかもしれません。