暴力表現は必要なのか
ゲームに対する暴力表現に対する疑問の声
少し古いニュースですが、ニコニコニュースにて「対策ビデオゲームの「暴力性」は本当に必要なのか」という記事がアップされていました。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw2053253
(引用開始)
「Why all this violence?! – Alternatives to violence in video games?(なんでどのゲームも“暴力的”なんだ?!暴力表現の代わりになるものは?)」と題されたスレッドの投稿者は、『Fallout 4』のゲーム性に焦点を当てながら、「美しい世界観を体感するには、キャラクターを“殺害”する以外に方法がない」と指摘。「暴力表現」に抵抗を持つというよりも、『Fallout 4』の荒れ果てた大地“ボストン・ウェイストランド”、『BioShock』の水中都市“ラプチャー”の世界観を「戦闘」以外で味わえないことに疑問を感じたようです。
(引用終わり)
日本でヒットするゲームは必ずしも暴力表現があるとは限りませんが、世界的に見てモンスターヒットを飛ばすコンシューマーゲームには、暴力表現が含まれる作品が多いようです。プレイステーション2で発売されたゲームソフトで一番売れたのは「グランド・セフト・オート サンアンドレアス」です。グロテスクな描写と性描写がかなり含まれています。日本では18歳未満者に対して販売、頒布することを前提としない区分であるCERO Zの指定を受けています。考えてもみてば、露骨な暴力表現がないものであったとしても、ゲームというコンテンツと暴力性には切っても切れない縁のようなものがありますよね。任天堂の子ども向けゲームであったとしても、敵を攻撃したり、殺したりすることは当たり前のようにあります。こうした背景から「ゲーム=暴力」のようなイメージを持った大人たちが、科学的根拠のない「子どもへの悪影響説」を唱え始め、2000年代初頭には「ゲーム脳論争」が巻き起こりました。子どもへの悪影響とゲームを考えたときに、私たちが取るべき行動はどういうものなのでしょうか。
悪影響は「与えてしまうかも」しれない (画像提供元:Amazon)
2009年に出版されたハーバード大学医学部 ローレンス・カトナー博士/シェリル・K・オルソン共著『ゲームと犯罪と子どもたちーハーバード大学医学部の大規模調査より』では、ゲームのプレイ時間、プレイする頻度、プレイしているゲームの内容と子どもの暴力性、攻撃性に関連性はあるのかという調査を行いました。1254人の子どもたちと500人の保護者を調査した結果、僅かですがゲームをプレイしている子どもたちはいじめの加害者に分類される割合が多くなることがわかりました。著しく暴力的な内容のゲームであればあるほど、こちらも増加傾向になるそうです。しかし、調査結果の妥当性や再現性はさほど無く、サンプルが違えば全く異なる結果が抽出される可能性があるそうで、相関関係は無いに等しいとのことです。さらに、プレイ時間が増加するといじめっ子の割合が増すデータが得られたとはいえ、週に6〜7日ゲームをプレイしている子どもたちで、いじめっ子に分類された割合はわずか11.6%です。暴力的なゲームを遊んでいる子どもたちのほとんどが、いじめっ子に分類されると思われる行動を取っていないことになります。このデータを見て、あなたはどう思いますか?
メディアの印象操作
「秋葉原通り魔事件」や直近の「朝霞市少女誘拐事件」など、容疑者の特性の中に少しでも「オタク」要素があれば、それを抽出して報道してしまうマス・メディアによって、「ゲーム」と「暴力」、「ゲーム」と「性犯罪」などが結びついてしまい、犯罪の主要な原因のひとつとして所謂「オタク趣味」が挙げられるような価値観になって久しいです。子どもの暴力性には様々な要因が絡みます。日本の青少年による兇悪犯罪のピークは1950年代であり、テレビゲームが登場し始めた時期から減少傾向にあります。原因は1つではないのに、さもそれが原因かのように報道してしまうことは報道機関各位自粛して頂きたいことではあります。もちろん、中にはアニメゲームマンガ、それから映画などに影響を受けてしまい実際に犯罪に及んでしまったケースなどもあるのでしょうが、果たして犯罪者の全体から見て何%の人がそのようなケースに当たるのか疑問です。
『ゲームと犯罪と子どもたち』の調査結果では、現実とゲームの世界を混同しているような子どもはいませんでしたし、暴力的な表現があることによって、現実世界での怒りを発散できるものとして上手にコントロールをしているという印象です。私はもしゲームと現実の世界の区別がつかない子どもたちが現れているのだとしたら、それは大人たちが子どもたちとコミュニケーションをとらないことに原因があるのだと思います。
問題の本質は何か
『ゲームと犯罪者と子どもたち』の最終章「保護者が子どもにできること」の中で、「関わり続けること」という節があります。
(引用開始)
インタビューをしたティーンエージャーの大半が、両親はゲーム全般に疎く、とくに自分たちがプレイしているゲームのことはよく知らないと答えている。(中略)
オランダで行われた調査によって、自分もゲームをする親は、ゲームの子どもに対する危険性や利点について、違った考えを持っていることがわかった。「(彼らは)肯定的な影響について、より楽観的で、否定的な影響については他の親ほど心配していません」そして、彼らは子どもと一緒にゲームをすることがより多かった
(引用終わり)
大人たちは子どもたちがどのようなコンテンツを遊んでいるのかということについて、しっかりと知る必要があるでしょう。画一的な規制案やゲームに対して悪い印象しか持とうとしない人々は、子どもの気持ちを理解しようとしていません。得体の知れない「何か悪い者」という認識のままではゲームを捉え直すことは無理です。なぜこれらに対して面白さを感じるのか、子どもたちはどういうことに関心があるのか、今子どもがやっているゲームのどこに魅力があるのかということを考え続け、そして子どもとコミュニケーションを取ることが重要です。そうして作ったきっかけの中で、ゲームと現実の世界の区別がつくような教育をしていくこと、ゲーム以外に楽しいことがあることを示していくことができれば、極端な依存状態や暴力性を助長しない教育ができるはずです。