ゲームプランナーになるには プランニング会社の社長インタビュー (前編)プランニング会社を作るまで

59d4a33f307e33032インタビューをされる人:
堀内 裕之さん
有限会社ラムダ・プランニング 代表取締役
池袋に20数名のスタッフを抱えるゲーム企画・プランニング会社を構え、『DARK SOULSⅡ』や『重鉄騎』のようなハイエンドなコンシューマーゲームから、スマホ話題作、自社オリジナルゲーム『ウィズブック』、『刺青の国』など幅広くゲームプランニングを手がける。自身はアナログゲームと旅好きで、休みの日は遠くの動物園などでモフモフに触れる日帰りプチひとり旅を敢行する。実家の猫に顔を覚えてもらえない片思いの猫派。犬も好き。

20293119_1567947913237478_1239891512254713245_nインタビューをする人:
大山莉加
ビ・ハイア株式会社 執行役員
BLとコスプレをこよなく愛するオタクだけど、ラクジョブ運営会社ではそこそこ偉い人。業界を発展させて素晴らしいコンテンツをたくさん出せるオタクに優しい世の中にしたいと考えている。会社で猫を9匹も飼っているのに猫アレルギー持ちの犬派。

59ce50ee34f094388大山
まずは、ゲームプランニングの仕事に就くきっかけとなった経緯を教えてください。

今の取締役の武井や加藤とはその頃からの仲間です。就職の時期になると、ゲームサークルの仲間はそれぞれ別の会社に就職したりと、一度離れましたが、私は仕事もゲーム関係にしたいと思ってアナログゲームの制作会社で働くことになりました。しかし、入社してみるとアナログゲームを作る仕事はお金が厳しいとわかり、その会社を辞めてから個人で
雑誌のライターをやっていたところ、取引先のゲーム会社の方からカプコンでシナリオライターを募集しているのでその会社経由で4名で行ってくれないかと言われました。その4名でカプコンの方と面談をしてみると「この中で2名プランナーになってもらいます。」と言われ、ゲーム業界のプランナーになりたいなんて一回も思ったことなかったのに突然プランナーになることになってしまいました。

大山
出向も突然ですが、カプコンさんも突然ですね。

堀内:
ちなみに、その時、私を誘ったゲーム会社の担当はいま弊社で開発管理をやっています(笑)。
カプコンに入ったのは90年代でしたが、当時プランナーという職種がメジャーではなくて、プログラマー主体でゲーム作りを進める上で必要な書類を作る役目が必要で、それがようやく「プランナー」という名前で呼ばれ始めた頃だったのです。カプコンではプランナーとしてMMORPGを作り、その後他の会社に雇われディレクターとして任天堂向けのゲームの作成を始めましたが、アルファの段階で開発が延び延びとなり、会社の意向で開発を閉じました。その後マイクロソフトへ転職、さらに2003年くらいにコナミ・ハドソン系の新しいサービス『スターオンライン』のプロデューサーをやったりしていましたが、やはりゲーム制作のに戻りたいと思い、半年でやめて業務委託としてドリームファクトリー、メディアビジョンと、当時元気のいい開発会社をひと通り経験してから2005年にラムダ・プランニングを起業しました。

大山:
その頃アナログゲームサークルまで一緒だった現役員の方たちはどうしてたんでしょうか?
どういう経緯でラムダ・プランニングに再結集することになったのですか?

堀内:
加藤はカプコンに一緒に行っていました。当時加藤は私を誘ったゲーム会社に所属しており、その後フリーランスとなりデジタルゲームのプランナーを続けていました。お互いフリーランスのプランナーということで、私と相互に仕事の紹介をしたり、情報交換したりしていました。そんなわけで、企業することを決意したときに真っ先に相談したのが加藤でした。サークル時代の人たちもゆるく付き合いはありましたが、起業するにあたって加藤が突然「武井という男が必要だ」と言い始めます。その武井が、今は総務などを担当している役員になっています。

59ce50ee350288151武井はサークルを離れてからアーケードゲーム会社で格闘に限らずシューティングゲームなどのドッターをしていました。
ゲーム会社全体に、プランナーという概念はなくマップの構成は全部デザイナーがやっていた時代の事でしたが、社内に1人だけ今で言うプランナーみたいな人がいて、ずっと椅子に座ってビタミンCだけポリポリ食べてレベルデザインしている変わり者でした。
それを横目で見つつ絵描きでもROMを焼いたり基盤のハンダづけをしていたり、明確に仕事の範囲が決まっていなかったため、ドッターと言えど色々なことをやっていたし、むしろ一つのことだけやっている方が変わっていると思われるような時代でした。

その後武井は家の事情でアーケードゲーム会社を退職して、千葉から京都まで自転車旅行中に知り合いに暑中見舞いを書いたら専門学校教師になってくれと返事が届いたので、プランナーの講師をやりはじめました。
プランナーのことはよくわからないがゲームの作り方は知っていたので、ゲーム会社で見てきたレベルデザイナーのことや、自分も関わっていたゲーム全体の作り方の話を適当に教えていました。その時の教え子が現在関連会社の社長になっています。
その後ゲーム業界に戻らず同人活動したりしましたが、その時に知り合った方が今もお仕事で関わっていたりします。

また武井はISDN時代に自宅サーバーを作って常接ソシャゲっぽい事を同人でやってましたが、飽きてウェブデザインの会社で取締役に就任します。
その頃にちょうど私が起業しようかと動いているところで、前述の加藤と一緒に立ち上げる段階で「武井さんを召喚しよう」という話になったので、「久しぶりにご飯でもしようよ」と呼び出したのです。結局そのご飯の席で、会社を手伝うことに快諾してくれました。

プランニングという職に関わるに連れ、プランナーと呼ばれる職についた知り合いも増え、プランナーとしての仕事も増えてきていたタイミングで、起業しようと考えたポイントは3つあります。

・フリーランスプランナーの知り合いがたくさんおり、引っ張りだこだったがプロジェクトごとに解放されてノウハウがたまらない

・案件が大型化していた

・フリーランスプランナーは引っ張りだこだったがプランナー自体は雑用扱いされていた

59ce513b531c80020上記のような現状があったため、会社にすることによってノウハウの共有をしてプランナーの重要度をあげる働きかけをしたいと考えたのです。

プランナー出身ではないものの同じようにゲームを愛し、ゲームの行く末を案じ、仕事上でゲームプランニングすることに触れてきた加藤と武井もこの3点の改善すべき点に共感してくれました。
かくして、プランニングという概念がなかった時代にくしくもプランナーのようなことをし始めていたゲームサークル出身の3人が集まって、ゲームプランニングという職種の地位を上げていこうと結成したのがラムダ・プランニングだったのです。

>>次回へ続く

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