進化するツール、進化するデバイスにデザインはどうあるべきか?
2016年になりました。これまで、たとえばゲーム業界においては、グラフィックデザイナー、イラストレーターという職業の人はクライアントであったり社内の要求に応えるべくドット絵の需要からスタートし、ハイエンドの3DCG映像に至るまで大量のグラフィックを生産してきました。ゲームがリリースされるたびに新しいゲームの公式サイトが立ち上がり、そこにはゲーム向けに作成した素材を使いながらWebデザインをしてユーザーに告知をします。そしてコンシューマーゲームであればファミ通.comなどのWebサイトに新しいゲームが出るよとバナーが表示されます。さらにはファミ通や電撃PlayStation等の誌面では特集が組まれたり宣伝用のページがDTPという手段でデザインされています。ヒット作のナンバリングタイトルともなればTVCMにも登場します。これもゲーム用のグラフィック素材をTVCMという尺の決まった映像において、視聴する人が面白そうだと思えるようにデザインしていきます。ひとつのゲームを取ってみてもこれぐらいデザインというものであふれかえっています。目にする人工物は基本的にデザインされたものだといって過言ではありません。
デザイナーの仕事とは?
ではデザイナーの仕事とはクライアントの要望に答え、世の中の一般消費者の消費意欲を掻き立てることなのでしょうか?デザインはかくも消費のために消費され続けるものなのでしょうか?もちろん社会的な経済的なニーズを満たすためにクライアントの望むデザインを提供すること自体は決して悪いことではありません。それが社会に価値を提供しているからこそ、対価としてのお金を得られるわけです。ただそれしかないというのはもったいないのではないかと思います。それはそれでいいとしても、もっと他に活躍することや発信することも出来るのではないでしょうか。国内ではあまり知られていないかもしれませんが、1964年にグラフィックデザインに関する文書として「First Thing First Manifesto」が発表されています。そして改訂版として「First Thing First Manifesto」の2000年版も発表されています。原文は英語ですが、それを和訳しているサイトがありますので、そちらを参照します。
引用開始
「最初にすべきことを最初に」宣言(1964年オリジナル版)
ここに署名する我々は,グラフィックデザイナー,写真家,そして学生である。我々は広告技術・機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界に育った。キャットフード,胃薬,合成洗剤,毛生え薬,縞模様のついた歯磨き粉,髭剃り後ローション,髭剃り前ローション,痩せる食品,太る食品,におい消し,ソーダ水,タバコ,伸縮下着,ゴム入りズボン,スリッポン。こんなようなものを売るために技能と想像力を売り飛ばす人々を賞賛し,広告こそが正しいと主張する出版物に我々は責め立てられてきた。このような,この国の将来にほとんどないしはまったく貢献しないどうでもいい目的のために,広告産業に従事する人々の途方もない時間と労力が無駄になっている。
市民社会の拡大とともに我々はある飽和点に達しており,もはや押し寄せる消費者向けの販売攻勢は騒音以上のなにものでもない。我々は我々の技能と経験を活かすより価値のある仕事があると考える。例えば道路標識,看板,書籍,定期刊行物,カタログ,取扱説明書,工業写真,教育補助のためのツール,映画,テレビ番組,科学・工業出版物,我々の産業・教育・文化,そして世界の人々の意識に貢献するすべてのメディアがそうだ。
我々は消費者向けの激しい広告を廃止せよと主張しているのではない。そんなことは不可能だ。楽しい仕事がしたいというのでもない。より有用で持続的なコミュニケーションのために優先順位の反転を提案しているのだ。我々は販売のためのギミックやセールスマン,悪辣な隠し広告,そういったものに人々が辟易とし,そして我々の技能が有用な目的のために活用されることを希望する。この考えの下,我々は我々の経験と考えを共有し,関心を持つ仲間や学生等に供することを提案する。
(中略)
「最初にすべきことを最初に」宣言 2000年版
ここに署名する我々はグラフィックデザイナー,アートディレクター,ビジュアルコミュニケーターである。我々は広告技術・広告機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界で仕事をしてきた。多くの教育者達がこの考えを奨励し,市場はこれを支持し,無数の書籍・出版物が後押ししている。
そして奨励される通り,犬用のビスケット,デザイナーコーヒー,ダイヤモンド,合成洗剤,ヘアジェル,煙草,クレジットカード,スニーカー,家庭用フィットネス器具,ライトビール,そして大型RV車,これらを売るためにデザイナーは技術と想像力を使っている。コマーシャルワークは常に利益をあげ,そして多くのデザイナーがこれこそグラフィックデザイナーの本分だと見なすようになった。今やこれこそが世界で考えられているデザインのありかただ。専門家の時間と労力がおよそ必要とはいいがたいもののために使い果たされている。
我々の多くはこのデザインのあり方に違和感を感じるようになった。広告・マーケティング・ブランド開発に主として従事しているデザイナー達は,商業的メッセージが一般消費者の精神環境を侵し,そしてその会話・考え・感覚・行動・相互関係に強い影響を及ぼすための潜在的な手助けをしている。そして我々は全員多かれ少なかれこの計り知れないほど有害な社会のあり方を後押ししている。
我々の問題解決能力にはもっとふさわしい役割がある。環境・社会・文化のかつてない危機が我々の注意を求めている。企業の社会貢献キャンペーン,書籍,雑誌,展覧会,教育ツール,テレビ番組,映画,慈善運動,その他の情報デザインプロジェクト。多くの文化的活動が我々の専門的技術と助力を必要としている。
我々はより有用で持続的な民主的コミュニケーションのために優先順位の反転を提案する。商品のマーケティングから離れ,新しい意義の探求と創造へと意識を転換するのだ。議論の枠組みは縮小している。むしろ拡大しなければならない。消費主義が議論されることなく進行している。視覚言語とデザイン資源によって示される別の視点から議論されなければならない。
1964年,我々の技能のより価値ある活用への最初のよびかけに22人のビジュアルコミュニケーターが署名した。グローバルな商業文化の爆発的拡大の中,彼らのメッセージの緊急度は増すばかりだ。次の数十年の間にこの宣言が理解されることを期待し,ここに我々は彼らの宣言を更新する。
英語原文
https://maxb.home.xs4all.nl/ftf1964.htm
Elephant & Castle より抜粋
https://d.hatena.ne.jp/kimurasatoru/20060624/1151156857
引用終了
いずれの宣言もデザインの重要性、あり方について今一度見直すことを問うています。もちろん今の広告宣伝的で消費活動促進のためのデザインをすべてなくすことはできないでしょう。ただデザインを必要としている場やデザインを生かせる場は他にもありますし、今の仕事の中にだって生かせる部分があるかもしれません。仕事をするときに大切なのはインプットの多さですが、それを支えるのは多くのことへの興味関心です。興味や関心がわくからこそ、今まで知らなかったことを知りたいと思うようになりますし、やったことのないことをやってみたいと思うわけです。そのインプットを増やすひとつの方向性として、これからのデザインのあり方を今一度考えてみてはいかがでしょうか?
テクノロジーの進化とデザインはどう関わっていくのだろうか
デザインについてはさまざまな本があります。一番おすすめしたいのはデザインの歴史であったりデザインの未来といった具体的な話ではなく比較的時間軸も長く、具体的ではないテーマについてかかれたものです。
具体的な話は読んでわかってそれで終わりです。思考することがほとんどありません。もちろん知らないことを知るためにそういったHow to本は役に立ちます。ただ読書の醍醐味は読書を通じて思考することにあります。思考を繰り返すことで今までつながっていなかった点と点がつながって新しいひらめきを得ることが出来ます。アニメゲーム漫画業界にグラフィックデザイナー、イラストレーターという職種がある限りは、デザインの未来について少しでも一緒に考えましょう。それが新しい作品やデザインを生み出し、世の中を大きく変えるきっかけになるかもしれません。