​ アニメゲームマンガクリエイター 子どもの遊びについて考え実際に遊び、一段上のクリエイターになろう

Shocked and surprised boy on the internet with laptop computerアニメゲームマンガと子どもたちの遊びへの影響

子どもの「遊び」とアニメゲームマンガは切っても切れないものになっています。マンガはその誕生以来、子どもたちに夢を与え、子どもたちは自分たちの遊びの中に、マンガのキャラクターや世界観、設定などを持ち込むようになりました。テレビが普及し、視覚聴覚を使って臨場感たっぷりにあらゆる情報がお茶の間に届くようになってから、子どもたちはスポーツスターに憧れ、友達間での野球や、プロレスごっこなどに興じました。特撮ヒーローものやテレビアニメが放送されると、子どもたちもキャラクターを真似します。鬼ごっこと仮面ライダーの要素がくっついたり、鉄腕アトムとプロレスごっこが結びついたりしていたことでしょう。そして子どもたちの遊びはテレビゲームの出現によって変化していきました。現在の子どもたちの遊びに、「デジタルゲーム」は切っても切れないものです。子どもたちはその時々の流行を遊びの中に取り入れ、ルールを作って競争をしたり、ごっこ遊びをしますが、ゲームというものはそれ自体にルールがあり、それ自体によって競争ができるものです。子どもたちが遊びについてクリエイティブな発想をしなくても、遊べるようになってしまっているのです。年齢層のターゲットを子どもたちにする場合、子どもたちの「遊び」全体を考えてゲームを作ることは重要だと考えます。今、子ども向けのゲームを作るということは、今の子どもたちの遊び全体を左右するという、とてつもない影響力がある事なのではないでしょうか。

子どもの遊びを見る

私は「プレーパーク」という取り組みを私の地元で行っています。「プレーパーク」とは「冒険遊び場活動」として世田谷区で始まった取り組みです。(NPO法人プレーパークせたがやによるプレーパークの説明がわかりやすくておすすめです。:https://www.playpark.jp/outline/index.html)子どもたちの自由な発想と能動的な遊びへの態度を大人が保証する遊び場づくりを目指す活動を、冒険遊び場、プレーパークと呼びます。大人たちは子どもたちが一般的にはあまり好ましくない遊びをしていたとしても、「それやったらダメだよ」ということを禁止されており、また、大人が過度に子どもの遊びに介入することを良しとしません(このルールは遊び場によって違いますが、概ねこのようなルールで運営されていることが多いようです)。子どもたちの遊びの中には、大人になり、社会に出た後に必要な能力を培えるチャンスが山ほどあります。相手の話を聞く力、相手の要望を聞く力、理不尽なことを言われたときの対応や、人間関係の距離感などは遊びとともに身につけることができるものです。これに大人が介入してしまうと、いく通りかの答えを安易に与えてしまうことになります。それは子どもたちのクリエイティビティを阻害し、大人に従っていれば万事解決するのだという価値観を植えつけてしまいかねません。ですので、プレーパークでは喧嘩も見守ります。明らかに命に危険が及んだり、大怪我をしそうな場合でない限り、大人は子どもたちの遊びを応援したり、遊んで欲しいと言われれば、一緒に遊んだりします。

そうした環境で子どもたちの遊びを見ると、とても面白いことに気づかされます。しかも頻繁に新しい発見があります。私が幼稚園の頃はポケモンが流行りだした頃で、幼稚園ではこぞってポケモンごっこなどをしていました。でもそれは幼稚園というある程度大人の目があり、危険な遊びは全くできない環境下だったからこそのものだったのではないかと思うことがあります。子どもたちは木材や木工道具を使って屋台のようなものをつくり、泥だんごをケーキに見立ててケーキ屋さんごっこをしたり、フェイク付きの落とし穴を作ったり、会場の場所や受付の場所がわかりやすいようにと看板を作ってくれたりと、禁止事項がない環境下であれば大人顔負けのクリエイティビティを発揮するのです。そういう子どもたちに、普段はどういうことをやっているの?と聞くと、意外とゲームをしたり漫画を読んだりという子どもたちが多いのです。そしてクリエイティブに富んだ遊びの中にも実は、アニメゲームマンガの要素が入り込むこともあります。妖怪ウォッチのアイテムを自分で作ったり、必殺技の名前を叫びながら鬼ごっこでタッチをしたりと現れ方は様々ですが、アニメゲームマンガは明らかに子どもたちの遊びの中に「浸透」しているのです。

子どもと遊ぶ

子どもの遊びを一緒に、子どもと遊ぶということも、遊びを考える上で重要です。子どもの目線になりきって考えると、見えてくるものがあります。私は子どもと遊ぶとき、常に全力で遊びます。相撲をやろう!と勝負を挑まれたら、手加減は一切しません(もちろん、怪我をしないような配慮はちゃんとしています)。すると、子どもたちはどうにか私に勝とうと、あの手この手を使ってきます。ここにもクリエイティブな発想が満載です。この指とまれで人数を募り、何人なら私に勝てるかということをされたり、くすぐられたりします。本気でやっても負けてしまいます。このとき、子どもたちはとても嬉しいと思うのです。この一連の流れはゲームそのものです。モンスターハンターで強敵のモンスターをどうやって倒せば良いのかと考えることと似ています。アニメやマンガのストーリーに当てはめれば、これは「仲間で力を合わせて強い敵を倒す」というお決まりのストーリーに当てはまります。子どもたちの遊びの中には、ゲームの題材になるヒントがいくつも隠されています。子どもたちと一緒に秘密基地を作ったり、木工で椅子や机などを手伝う作業を行うと、子どもが何を楽しんでいるのかという視点が身につくと思います。ですので、ぜひクリエイターの方々も「子どもと遊ぶ」ということを実践してみてほしいのです。

Smart toddler girl wearing big glasses while using her laptop現代人は「眩暈」が足りない?

ロジェ・カイヨワという学者がいます。彼は著作『遊びと人間』の中で、遊びの根源的な態度を4つの類型に分けることができると提唱しました。それは「競争(アゴン)」「運(アレア)」「擬態(ミミクリ)」「眩暈(イリンクス)」です。子どもたちの遊びの中に多く現れるのは、「競争」と「擬態」です。息をどれだけ長く止められるかというシンプルなものから、複雑なルールの鬼ごっこやベーゴマなど、ある程度能力が必要なものまで、多くの場合「競争」の要素があります。アニメやマンガのストーリーにも「競争」は重要な要素です。「擬態」はごっこ遊びなどですね。そして「運」や「眩暈」はなかなか現れてきません。「運」とはルーレットや競馬などが分類されるので、子どもが偶然を楽しむことは遊びの中でもあまり見受けられません。「眩暈」などはブランコやメリーゴーランド、ワルツや祭りなどの踊りが分類されます。アニメゲームマンガの出現によって、この「眩暈」が少なくなりました。規則性を持った遊びの中でも競争などは感情が高ぶったりはしますが、それとは別の、内側から湧き出てくるようなトランス感だったり、空中サーカスを見たときのようなゾワリとする感覚などを感じ取る機会が失われたように思います。「眩暈」のような心のダイナミクスを感じ取るにはどうすれば良いかというと、小さな子どもたちと遊ぶことです。

小さな子どもたちの行動は情動に左右されるところが大きいので、子どもたちと一緒に踊ったり、意味もなく泥だらけになったりすることで、規則性が働いているところでは体感できないものが味わえます。VRの開発スタッフなどは、こうした眩暈的な心の臨場感を持つことによって、効果的な映像を作り出すことができると思います。もちろん眩暈だけ体験していても気持ち悪くなったりするだけですので、クリエイターの方々は子どもたちと遊ぶ機会があったときには、「競争(アゴン)」「運(アレア)」「擬態(ミミクリ)」「眩暈(イリンクス)」の4つの要素に注目してみてください。制作の際の経験の引き出しに置いておくことは、非常に武器になるのではないかと思います。

Fotolia_91978766_Subscription_Monthly_M-330x220感情の高ぶりや爆発を遊びの中から体験しよう

小説やマンガ、動画などのコンテンツが容易に楽しめるようになった昨今ですが、そういう時代だからこそ作り手に求められることは「実際に体験する」ということがとても重要になってくると思います。遊びということを真剣に考え、実際に遊んでみることで、クリエイターとしては作品作りに役に立つ経験になり、また子どもたちへの影響を考えながら世に作品を送り出すことによって、社会に対しても貢献できます。子どもたちと一緒に感情を爆発させることで、忘れていた心の動きを思い出し、それを作品に活かすことができたりします。そしてアニメゲームマンガを作るということの重要性をもう一度再確認できるでしょう。いかに自分たちが影響力のあるものを生み出しているのかを再確認することで、仕事に対するモチベーションや責任感を持てると思うのです。
これからも良質なアニメゲームマンガを探求していただきたく、今回このような記事を書かせていただきました。最後までお読みいただきありがとうございました。

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